私は、何故そこにいないのか。
2022年 06月 08日
この頃、ふだん買っている卵のにおいが気になって、
いくつか品を変えて手に取ってみたが、どれも変わらなかった。
以前から、卵についての宣伝の表記が、
栄養の付加価値をつける言葉ばかりなのも気になっていた。
数年ぶりに、たまごを主に扱うお店を訪れてみたら、
そのドアには、前月から値上げしますと、理由を添えて記されていた。
「飼料の値上がり」…想像どおりの文言に、大きく頷く。
この世界情勢下、値上がりして当たり前なのだ。
それを思うと、値引きと付加栄養価を売りにしているスーパーの卵が、
いったい何を与えたものなのかと、少し怖くなる。
あのにおいが私の勘違いでないなら…。
たまご農家が生きていくために、安全なたまごを提供するために、
数十円の値上げは許容範囲だからと大いに納得して、購入して帰った。
その翌日。
朝刊一面の見出しに打ちのめされる。
世界銀行の試算では、食料の1%値上げにより、1000万人の極度の貧困者が生まれるとのこと。
たまご数十円、小麦粉数十円の値上がりは許容範囲と、
生産者を守ることになるのだと、そんなふうに思った自分を恥じた。
自分は支払えるということが前提の傲慢さに恥じ入った。
思えば、病気の流行だけではない、戦いの火種も、不作も飢饉も世界中にあり、
この国の、自分の、今の生活を当たり前とする感覚に、自分で恐ろしくなった。
猛暑・電気料金値上げ・節電とメディアは声高に叫ぶけれど、
電気も水も食料も医療もなければ、死に向かうしかない今の地球環境は、
受け容れるしかない自然淘汰という神の意思なのではないかとふと思う。
そんな折に偶然か必然か、再放送ドラマやドキュメンタリーで過去の戦争に触れ、
心乱される中、矢も楯もたまらず、これを書いている。
だからこそ、だからこそ本当に大切な、
一瞬の生命なのだ、ということを、心に深く刻んで。
私は今、何故そちら側にいないのか。
ただ享受するだけの傲慢に気づき、その意味を問いつづけ、
この自分にできることを、考えていかなければと思う。
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by kazetsumugi
| 2022-06-08 12:22
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